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アリアンサに生きた芸術家たち

アリアンサ中央公園のモニュメント「祈り」小原久雄作
アリアンサ中央公園のモニュメント
「祈り」小原久雄作

 上の写真はアリアンサ中央公園(北原地価造記念公演)に建つ小原久雄制作のオブジェ「祈り」である。アリアンサを建設した永田稠、輪湖俊午郎、北原地価造の協同への祈りをモチーフにしたものと言われる。
 小原久雄(おはら・ひさお、一九三二〜一九八九)は東京都出身、東京芸術大学卒業後、現代芸術協会で活動していたが、一九六一年、弓場勇の招聘で妻の舞踊家小原明子とともにアリアンサへ移住。ブラジルを代表する彫刻家として活躍した。

木村圭石の歌碑「籐寝椅子親しむ南十字星」 佐藤念腹の歌碑「珈琲の花明りより出でし月」 岩波菊治の歌碑「ふるさとの信濃の国の山川は心にしみて永久に思わむ」
木村圭石の歌碑
「籐寝椅子親しむ南十字星」
佐藤念腹の歌碑
「珈琲の花明りより出でし月」
岩波菊治の歌碑
「ふるさとの信濃の国の山川は心にしみて永久に思わむ」

 この公園にはブラジル短歌俳句界を代表する三人の歌碑もある。三人とも大正末期、アリアンサ建設の呼びかけに応え、ブラジルへ渡った。

 木村圭石(きむら・けいせき、本名貫一郎、一八六七〜一九三八)は新潟県の出身。高浜虚子の一門でブラジル俳句界の指導者として活躍した。本職は東大工科出身の橋梁工学専門家で、サンパウロ州チエテ河に架けられたノーボ・オリエンテ橋(一九七二年チエテ河のダム化によって水没)の設計者としても知られる。
 佐藤念腹(さとう・ねんぷく、本名謙二郎、一八九八〜一九七九)新潟県出身。早くから高浜虚子門下の逸材として注目されたが、一九二七(昭和二)年、第二アリアンサに入植。ホトトギス派の一流作家として内外に認められた俳人である。
 岩波菊治(いわなみ・きくじ、一八九八年〜一九五二年)長野県諏訪郡生まれ。アララギ派島木赤彦門下の歌人だが、アリアンサの先発隊として入植。この歌は一九三二(昭和七)年の作品。移住者の心情を代表する歌として広く愛されている歌である。
 アリアンサでは一九三〇年、木村と岩波によって日系社会最初の短歌雑誌「おかぼ」が発刊されている。


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