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アリアンサは生きている
  移住史をゆがめないでほしい

写真中央は1936年に発行されたアリアンサ移住地史「創設十年」 ※右の写真中央は一九三六年に発行されたアリアンサ移住地史「創設十年」

 一九九七年に、日本では「長野県の歴史」(山川出版社)が「アリアンサ移住地は日本人を悲劇に追いやった満蒙開拓分村移住のはじまりであり、他民族を排除する郷党的親睦思想に基づいてつくられたブラジル信濃村である」との見解を発表しています。

 アリアンサ史研究会ではこれがどのような事実に基づくものなのかを調べ、ありあんさ通信第八号(一九九九年)にわたしたちの知る歴史との食い違いを発表しました。わたしたちの見解も十分なものとは言えませんが、せめて長野県関係者、ブラジル移住関係者、日本の歴史学者に日本側のブラジル移住史やアリアンサ史に問題点があることを知ってほしいと願ったからでした。

 残念ながら日本ではほとんど反応がありませんでした。日本は二〇万人以上の日系人を外国人労働者として導入していながら、日系人のアイデンティティに係わる移住史については専門の研究者もなく、全く文化的な配慮がなされていない現実を思い知らされています。

 そして、心配していたように、二〇〇〇年には大月書店版「満蒙開拓青少年義勇軍と信濃教育会」(長野県歴史教育者協議会編)が発刊され、「長野県の歴史」を根拠にしてさらにゆがめられたアリアンサ像が描き出されています。アリアンサ移住地を満蒙悲劇の原点として扱いながら、著者らは現存するアリアンサ移住地の調査を全くしていません。山川出版社、大月書店は日本の良心的な大出版社として知られているだけに、非常に残念です。

 「満蒙開拓青少年義勇軍と信濃教育会」は長野県がなぜ多くの青少年を満蒙開拓に送り出したかを解明する目的で出されたもので、風化しがちな戦争責任を自らの問題としてとらえ直そうとする良心的な意図が見えます。同県人を悲劇へ追いやった歴史責任を見直そうとする人々が、外国人となったブラジル移住者に対してはまったく関心を払わない。これは日本人全般の風潮であり、この両書だけを責めるつもりはありません。せめてもう一歩足を踏み出して、専門家として移住同胞の歴史にも目を向けてほしいと思います。わたしたちは日本との文化の絆を大事にしたいのです。


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