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弓場繁さん 弓場 繁さん (ゆば・しげる)

ブラジル聖公会大司祭。
一九一〇年五月十日、兵庫県塩瀬村(現西宮市)で生まれる。弓場勇の実弟。一九二六年、関西学院中等科在学中、一家とともにアリアンサ移住地へ入植。一九三〇年、アリアンサを訪れた伊藤八十二牧師の熱心な奨めによりポルトアレグレの神学校に入学。一九三八年、第一アリアンサ教会に赴任。以後、聖公会牧師として日本人各移住地における伝導を開始。伝導のため、五十数回訪日している。一九九八年四月二九日没。享年八八歳。

 わたし(木村快)が初めてブラジルを訪れたのは一九七八年九月のことである。このとき、ユバ農場のサンパウロ窓口になっていたのが弓場繁牧師だった。三ヶ月にわたるブラジルの旅についていろいろアドバイスして頂き、コロニア(日系社会)の人々を紹介してくださった。
 その後も何度かお目にかかっているが、何しろ弓場さんは多忙な聖公会大司祭である。挨拶程度の話や、病気見舞いで、ゆっくり話を伺う機会がないまますぎてしまった。ほんとうはユバ農場のことについてももっと確かめたいこと、聞いておきたいことがあったのにと、残念である。これは一九七八年にお目にかかったとき伺った話である。

 弓場勇がああいう途方もないことを考えるようになったのは、蘭学の影響があると思う。弓場家は幕末に緒方洪庵をかくまったことがある。ばれたら獄門はりつけや。そのため、うちには洪庵の書き付けが仰山出てきた。ブラジルへ渡る前、兄貴とその書き付けを持って神田の古本屋へ行ったら、えらいもん持ってなさるというんで相当な金になったのを覚えてる。

 洪庵の弟子に福沢諭吉が出た。その関係で、わしの祖父は慶応へ行って蘭学を学んだ。オランダは国が小さいため、土というものを非常に大切にする。わしの祖父は土というものに対する考え方を、蘭学を通じて強く植えつけられたようだ。弓場勇はこの祖父の考え方を受け継いだんや。

 祖父は郷里に帰って、さらに弟を慶応へやった。弟は慶応から北米へ留学し、クリスチャンになって帰って来よった。じいさまはそりゃ怒って、弟を絶対神戸には上陸させんといきまいたが、何のことありゃあせん。折檻しに行ったじいさまが、弟に会ってみると、なかなか骨のある男だと言いだして、家に入れてしもうた。それが運のつきで、祖父までキリスト教に改宗してしもうた。祖父は村長をしとったが、明治四十一年に四十五才で死んだ。お寺はヤソ教徒の棺桶をつくってはならん言うて邪魔するし、村の連中に葬式へも出てはならん言うお触れを出しよった。それで葬式は家内七人で済ませたんや。

 兄貴は船長になるんや言うて、高等商船の試験を三度ばかり受けたが駄目や。そらそうやねえ、中学時代、野球ばっかりやって勉強せえへん。そしたら力行会へ行って、永田会長にだまくらかされてブラジルへ行く、言い出した。最初は親父はカンカンなって怒っとったが、わしの親父いうのがやねえ、これがまた一人息子で、金勘定いうもんが全然でけん男や。金に困って山は売っ払うてしまうし、なんとも先の見通しもつかん。結局ブラジルでも行こうかいうことになったんや、アハハハ。

 わしがユバ農場を離れて牧師になったんは、伊藤八十二(やそじ)いう偉い牧師に口説かれたからや。伊藤さんははじめ兄貴に勧めたんだが、兄貴はうんと言わん。それでわしが代わりに行くことになった。それからわしは、リオ・グランデの神学校へ行って七年間勉強した。はじめはアリアンサへ戻って巡回の牧師をやった。兄貴が型破りやからねえ。教会宗教をボロクソに言いよる。おかげでわしは弓場の弟やいうことで、ずい分伝道にさしつかえることもあったよ。

 弓場は、人のために命を賭けられるということを、日本人の本質的な特徴と考えておったようだ。それは日本の風土の中で歴史的に培われた考え方だと信じていた。だから都会へ色目を使うこともなく、あの暑い太陽の下で泥にまみれて働くということもできた。そやからねえ、一九七六年に五十年ぶりで訪日する話が出た時、彼は訪日することを非常に恐れた。自分のイメージが裏切られるんやないかとね。その時わしも同行したが、日本旅行の間中、兄貴はなんも言わんやった。その年の暮、兄貴は交通事故で死んだが、実際のところ日本をどう見とったかねえ。七〇才やった。
 兄貴は何も言わなんだが、わしは日本を見てがっかりしたね。何より悲しいのは、人間でありながら人間性を失ってしもうとること、いや、そうせな生きていけん世の中になってしもうとるということやねえ。経済大国になったのはいいが、趣味といえばみんなゴルフしかやらんというような画一的な生活や。しかしそれでも、日本人にはいざという時、人のために働く要素があると、わしは思っとるんやがねえ。

 日本人は徹底した悪人にはなれん。日本人の外交は十三才の子供だと馬鹿にされるのは(終戦直後、占領軍司令官マッカーサーの発言)、日本人のこの不徹底さがわざわいしとると思う。わしは教会の仕事で世界中を歩き回ったが、北米人(アメリカ人)は徹底した自己中心的な価値観を持っとる。日本人はあそこまで徹底できん。悪く言うと自主性に乏しく、すぐかぶれるんや。
 しかし、土に対する感覚だけは、日本人はずば抜けとる。こればっかりはドイツもイタリアもユダヤも問題にならん。その点、日本人はもっと確信を持っていいと思うし、もっと土に根ざした感覚というものを生かすべきだと思う。日本の中で暮らしとるとそれがわからんやろうなあ。

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