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ユバ農場の概略

木村 快

 わたしが最初にユバ農場を訪問したのは、日系社会が移民七〇周年で沸き立っていた一九七八年のことだった。創設者の弓場勇はすでに一九七六年暮れに自動車事故で亡くなっており、日系社会ではユバはもう三年も持たないだろうと噂されていた。にもかかわらずユバは二十一世紀を迎えた現在も厳然と存在しつづけている。

村づくりを目指した青年の農場

 ユバ農場は正式には一九三五年にアリアンサ移住地の弓場勇ら七人の青年によって創設されたが、協同農場の試みはすでに一九三三年頃から開始されていた。目的は村づくりの中核となる農場建設であり、相互信頼と個性の尊重される生活を実現することだった。規則はつくらず、「祈り、耕し、芸術する」ことだけを目標に掲げた。
 アリアンサには日本力行会の南米農業練習所が開設されていたこともあって、力行会系のクリスチャン青年が多く、文化活動やスポーツが盛んだった。弓場勇も力行会員として移住した一人であり、弓場勇を中心にした野球チームの合宿がユバ農場の母胎となったという。
 日本政府の移住政策は出稼ぎ奨励であったから、一般に定住の意識が弱く、教育、医療、生活の安定はとかくないがしろにされがちだった。アリアンサはこうした移住生活を改善する目的で建設された民間移住地であり、移住者自身による移住地づくりが旗印であった。
 一九三九年にユバ農場は全アリアンサの青年を結集して、アリアンサ産業青年連盟を結成する。彼らは新しい村づくり運動の担い手として無償労働で道路をつくり、移住地の農業を略奪農業から施肥農業に転換させるために養鶏を普及し、鶏糞による土壌改良に乗り出す。
 ユバ農場はこうした村づくり運動の中で形成されたため、参加したい者は誰でも参加でき、出て行きたい者は理由を問わず出て行くことができた。村づくりは人間づくりでもあるから、個性の尊重が重視され、一律に労働を強制されることもなかった。病人は守られ、障害者も行き場のない老人も迎え入れた。そのような生活を望まない者は出て行った。こうした理念を継続しながら経営を成り立たせるという点で、弓場勇は傑出したリーダーであったと言える。
 この農場が戦中から戦後にかけて大きく発展したのは、母国の保護を失い、日本人は敵性国民として自由を束縛され、戦後は日本の敗戦を認めるかどうかで混乱した暗い時代だったこともある。日本語の禁止された時代にも、サンパウロ市への食料生産基地として認められていたユバ農場は自由に日本語で生活できる解放区であった。勝ち負け問題で同胞が相争った時期にも、ユバはいずれの立場の者も保護した。それは不安の中で孤立する移住者にとっては一つの希望であった。
 ユバが本当の意味で真価を問われるのは、むしろ戦後の安定期に入ってからである。多くの日本人移民が大都市へ集中するようになり、ブラジル社会への同化が進むと、相互信頼にもとづく生活などという理想主義に魅力を感じる人は少なくなっていった。
 競争社会ではないから生産の効率は悪く、働く者は働くが、非生産的な芸術活動に没頭する者もいる。外部の人間から見ればそれはきわめて不公平な社会であり、こんな農場の存在が許されるのは弓場勇という強烈なリーダーが取り仕切っているからだと思われていた。

近代化に晒されて

故 弓場哲彦  弓場勇が一九七六年の暮れに亡くなると、誰もがユバはまもなく潰れると思った。だが、創設者たちはブラジル生まれの二世、弓場哲彦を二代目代表に据えて、淡々と理想を貫いた。最初の訪問時、わたしは「ユバの将来はどうなるのか」と聞いたことがある。長老の箕輪謹助は即座に「二世の代になったら、あれらが考えるだろう。そんなことまでこっちは責任を負えん」と言った。
 一九九〇年代に入ると、日系人社会は激動の時代を迎える。ブラジル農業の中軸を担ってきた日系の南伯農業組合、コチア産業組合が相次いで解散、日系社会が育てた南米銀行もイタリア系のスダメリス銀行に併合されるなど、日系社会は一つの時代の終末を迎えていた。ユバが参画していたミランド・ポリス産業組合も倒産。筆頭株主であったユバは大きな負債を抱えることになる。そして、負債の抵当とされていた農場の土地が銀行によって差し押さえられるという事態に直面した。二代目代表の弓場哲彦はこうした時期の農場を維持するために走リ回らなければならなかった。
 農場を近代的な組織にすることはユバの永年の課題であった。二〇〇二年、二度目の土地差し押さえが持ち上がるに至って、哲彦はいとこの弁護士中川誠と相談し、農場の法人化に踏み切るが、激務の中で倒れ、帰らぬ人となる。果たして近代的な組織にしてもユバらしい伝統は守られるのかどうか。ユバの三代目たちはいま新しい試練の時期を迎えている。
「クリスマス・キャロル」舞台  土地が差し押さえられるかもしれないという事態を迎えても、ユバはバレエや合唱の練習をかかさない。女性たちは「土地押さえられたって、ほかで借りて食べ物作るから心配ないよ」と笑っている。昨年のクリスマスにはまさに農場をあげて、「人生、お金だけではない」をテーマにしたチャールズ・ディッケンズの「クリスマス・キャロル」の日本語上演に取り組んだ。村人だけでなく遠くサンパウロからも大勢の人がやってきて、「クリスマス・キャロル」に目を見張った。
 自然への敬虔さを持ち、共に耕し、芸術する心を持った人々の営みは、単に経済的な尺度だけで計ることはできないのではないかと考えさせられる。


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