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ヤマらしさ

最年少の高橋学人(がくと)君は0歳、一日中大人たちから笑顔のメッセージを受けている。1歳になる熊本昴(すばる)君はもういたずら盛りで大人を和ませている。 ヤマの子は大きい子も小さい子も泥にまみれて遊ぶ。

 ユバ農場はなぜか昔から「ヤマ」と呼ばれている。一説によると最初に拓かれたユバ農場が丘陵地にあったからだという。だが、サンパウロの人たちがユバを「ヤマ」と呼ぶ場合、そこには都会では見失われつつある日本人らしい暮らしの原点があることを意味しているようだ。
 ユバの人たちと話していると、よく「ヤマらしさ」とか「ヤマの精神」という言葉が出てくる。ヤマらしさとは直接的には創設以来の理念である「祈ること、耕すこと、芸術すること」を意味しているが、具体的に説明しようとするとむつかしい。大まかに言うと、第一は、みんなが心を合わせることを大事にしていること。次いで人を経済的な尺度だけで評価しないようにしていること。第三に本人が生き生きと力を発揮できることを尊重する、といったようなことを意味している。しかし、見ていると聖人君子ぶって暮らしているわけでもない。やはりブラジルらしく、陽気で開放的である。
 なるほどと思うのは、食事の時は全員が顔を合わせるタイミングを待ち、長老が「黙祷」と声をかけ、一分ほど静かに黙祷してから食事にかかる。これは創立以来続いている習慣である。ヤマでは朝六時のカフェ(コーヒーと軽いスナック)、十二時のアルモッソ(昼食)、六時のジャンタ(夕食)と一日三度は全員が顔を合わす。物ごころつく以前からこうした環境で育つと、取り立てて意識しなくても自然に心を合わせて行動することにつながるようだ。「祈る」と言うと、現代の日本人は特殊な人々をイメージするらしいが、少なくとも五十年前までは日本でも、みんなで「いただきます」くらいの合唱はしていたはずである。
 昼間はそれぞれの分野で汗を流す人々が、夜は一転して一緒にバレエを踊り、合唱する習慣も、必ずしも全員が参加しているわけではなく、一人で静かに過ごす人もいる。日本の衛星放送に見入っている人もいる。
 ヤマの暮らしで何よりも羨ましいのは、ここには0歳から九十九歳までがごく自然に一緒に暮らしていることである。子どもと老人は無条件で大事にされている。現代人は見失ってしまったが、ヤマでは人間の誕生、成長、結婚、育児、病気、そして死、と人生のすべてが共有されている。子どもたちは大人たちに見守られながら自然を相手に成長し、大人と一緒に汗を流して働き、歌い、踊り、祈り、そして老人たちの死への旅立ちを見送る。
 ヤマでは自宅で死ぬことがあたりまえである。葬儀も農場で行われる。昨年の暮れに今本道子さん、今年一月に長老の箕輪謹助さん、そして九月には代表の弓場哲彦さんと相次いで亡くなった。大きな衝撃ではあるが、それもまた人間の一生であり、旅立つ者の思いが残された者へ引き継がれていくものであることを、子どもたちは心に刻む。死は恐ろしいことではなく、厳かな人生の現実なのである。
 子どもたちは高校までは地元の学校で学ぶが、高校を出ると、一度はサンパウロ市へ出るようだ。そのまま町で暮らす者もいるが、帰ってくる者もいる。町へ出た者も、年に何度かはヤマへ帰ってくる。ヤマはふるさとであり、自分を取り戻す場所だという。

最年長の長縄さんは99歳になる。 ユバ創設以来みんなを見守ってきた望月お民さんも92歳。ただ座っているだけでみんなの心の支えである。

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