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入植80周年を迎えるアリアンサの近況

ブラジル学校命名式

ミランドポリス市市立小学校「Harumi Kitahara」命名の式典に列席されたジョルジニョ市長とベラ夫人 ミランドポリス市市立小学校「Harumi Kitahara」命名の式典に列席されたジョルジニョ市長とベラ夫人。 左は校長・上條英子さん。(奥写真が北原はるみさん)

 第一アリアンサ移住地は今年11月、入植80周年を迎える。
またミランドポリス市の市制70周年でもあるこの記念すべき年に、昨年暮れから検討されていた、在第一アリアンサ・ミランドポリス市市立小学校(四年制義務教育基礎学部)の命名「HARUMI KITAHARA」が、市議会において満場一致で可決された。
その式典が6月17日、ブラジルにおける「日本人移民の日」の前夜に同小学校においてジョルジニョ市長夫妻他、全アリアンサの文化協会会長、役員など列席の下に盛大に行われ、生徒、父兄達による劇やサークル・ダンスなども上演され賑やかな祝典の時を過ごした。
「HARUMI KITAHARA」はアリアンサ移住地創設の理事、北原地価造氏夫人・はるみさんの名前で、1917年に地価造氏と共にサンパウロ近郊のレジストロ植民地に入植し、1924年11月、アリアンサ移住地開設のためにこの地に再入植して以来、村の建設に挺身された人である。
1981年12月30日、82歳で天に召されるまで移住地の母として、病人の看護や出産の世話、結婚の相談から教育問題まで、あらゆる状況や出来事に対応し、移住地の生活を守り作り上げてきた優しく逞しい開拓の女性であった。また、テニスなども上手で創設当時から移住地の若い女性達を指導して活動を盛んにしてきたスポーツウーマンでもあった。

上條亨氏 この校名の提案者は、州立の小中高学校を建設するに当り、政府要人達との折衝や交渉に当たって甚大な貢献をした上條享氏で、過去長年校長を務め、2002年に州から市に移管されたおりに再び校長として任命された上條英子さんの夫である。享氏は、1925年8月、日本からの第一次移民としてアリアンサに入植した上條佐和太、ふじを夫妻の長男として同区に生まれた。1954年、若干22歳でミランドポリス群会議員に当選、後に副市長にも就任している。歴代州知事、連邦議員等との親交も深く、直通電話、電気導入、現在北原地価造通りと命名されているアリアンサ内道路のアスファルト化など、村の文化発展に多大な貢献をしてきた人である。

しかし、去る9月18日、急性肺炎を起こし人事不省に陥りアラサトゥーバ市の救急病院に入院中であったが、これを記している今朝9月29日、肺炎のため急逝されたとの訃報に接した。アリアンサを愛する故に生地を離れることなく生涯を全うした享氏、告別式が同日午後四時第一アリアンサ会館において行われたが、かつてない程多くの参列者が集まった。従姉の保尾(やすお)さんは、「彼は、愛するアリアンサのために生涯を尽くせた思いを宝として胸に秘め、喜んで昇天していったことでしょう」と語った。また、埋葬の折にはジョルジニョ市長が、その栄誉を称え、「今、愛したこのアリアンサの地に帰る彼に拍手を」と皆に声を掛け、盛大な拍手の中、厳かに埋葬が行われていった。1932年5月22日生、享年72歳であった。

北原はるみ小学校

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