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アリアンサ移住地
  不可解な『金券』の存在

アリアンサ移住地史編纂委員会 渡辺伸勝

 アリアンサ移住地史編纂委員会では、以前からあるモノをめぐって様々な憶測がおこっている。それは〈金券〉である。編纂委員の一人は、住民たちによるアリアンサの昔話のなかで、昔のアリアンサでは金券なるものがあり、通常の貨幣の代用とされていたことを聞いていた。ある話によると、アリアンサから八〇キロほど離れた日本人の在住する町でも金券は使用できたようだ。このことが気にかかり、編纂委員会による調査を開始してからも引き続き金券のことをたずねるようにしていた。本格的に高齢者からの聞き取りを進めるようになっても、金券のことは時々耳にすることがあった。ただ、金券とはどんなもので、どういった使い方が出来、だれが何の目的で発行していたかは推測の域を出なかった。また、アリアンサでは、移住地経済の中心であった産業組合において、一九三九年ごろから購買券なるものを発行し、産業組合の売店においてのみ使用することが出来た。これは一九八〇年代まで利用されていたという。この購買券の発行の下には金券の存在があったのかもしれない。

 これまでの調査の結果、金券は、
1:アラサツーバ(前出のアリアンサから約八〇キロの町)まで使用できたこと
2:現金と引き換えに移住地事務所で手渡されることなどの証言が得られているほか、文献からは
3:第三アリアンサ移住地の移住史『第三アリアンサ創設五十年』の年表に「一九三二年六月五日に北原地価造氏名にて、移住地発行の金券回収の案内状廻る」との記述があることと、
4:ブラジル時報一九二八年七月十三日版に、金券の大きさは4×3cmのものでいくつかの種類があり、裏面に当時のアリアンサ移住地の現地理事(輪湖俊午朗氏)の印が押されており、
5:移住地内の売店で使用可能であることが報告されている。しかし肝心の部分が見えてこないのである。つまり、なぜ金券を発行し、どの地区でどれほど人々が利用していたのか、現金と併用だったのか、金券のみが使用されていたのか、現金とまったく同じ使い方をしていたのか、アリアンサ以外の場所でも使えたのか、そういったことが不明なのである。

1927〜1932年までアリアンサ移住地で使われていた「金券」
 気になるのは今回の調査で見つけたブラジル時報一九三二年六月二十三日版の報道である。そこには、アリアンサ移住地が「紙幣代用の金券を勝手に発行して金融の遣り繰りを為し」ている事情や、国や法律などの支配を受けない教育を是とする議論が移住地内に起きていることについて、ブラジルの地に日本人による閉鎖的な小世界を作り上げようとしておりそれはブラジル日本両国の問題になると指摘しているのだ。疲弊する農村や戦争が頻発し騒然とする社会を抜け出し、海外に住民の自治による共同村を建設するというアリアンサ移住地建設理念には、大正デモクラシー期の自由主義やユートピア思想、原始キリスト教的考えが多分に含まれている。それを念頭に置いた場合、金券の存在は、前出の新聞報道のごとく、まったく新しい移住者だけの閉鎖された共同社会の建設を目指していたことを象徴していると理解されるかもしれない。あるいはそうした思惑とは関係なく、実際的な理由で金券が利用されていた可能性もある。たとえば、移住地建設当初は経営母体である移住地事務所が資金難に陥っていたという事情を考えると、移住者の資金を借用し当座の運転資金として充当し活用していたのかもしれない。

 ただ、我々の勉強不足かもしれないが、かつて金券なるものを発行していた日系移住地の事例は聞いたことがない。不注意な憶測は禁物だが、アリアンサ移住地は金券が流通しそれゆえ周囲からの批判を呼び起こすような非常に奇妙な土地であったことは確かなようだ。とにかく、金券をめぐる証言や資料を収集することによって
1:当時のアリアンサの暮らしの理解
2:アリアンサの建設に関わる思想的側面の探求
3:当時の移住地の経営状態の考察など
につながることだろう。他に発掘が急務とされる資料はあるが、金券をめぐる資料もあわせて蒐集していきたい。

(写真:1927〜1932年までアリアンサ移住地で使われていた「金券」)

 金券が語るアリアンサの歴史


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