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アリアンサ運動の歴史第二部
  共生の大地を支えた青年たち

木村 快

 三、大正デモクラシー世代

  青年の意識が世界とつながった時代

 大正三(一九一四)年に第一次世界大戦がはじまると世界は激動時代に突入する。ヨーロッパが主戦場であったため、日本は連合国側の物資補給基地として大戦景気に沸いたが、大戦終了とともに一転して不況が深刻化する。社会格差が増大し、労働争議、小作争議が大きな社会問題になる。日本社会が本格的なグローバリズムの洗礼を受けた時代である。
 大正七(一九一八)年の米騒動、翌八(一九一九)年からの普通選挙要求運動、大正十一(一九二二)年の被差別部落民による差別解放を叫ぶ水平社宣言が社会の注目を集め、女性解放運動、貧民救済のセツルメント運動、生活協同組合運動などが進展する。
 こうした運動の中心はいうまでもなく青年たちである。太平洋戦争終了後のアメリカの占領政策の後押しで展開された民主化運動とは違い、自らの力で政治権力の壁を打ち破ろうとした点では、おそらく日本近代史上もっとも厳しく、またもっとも活力に満ちた時代であった。
 日本力行会の活動もこの時代に大きく進展している。アメリカが日本移民の入国を禁止したため、アメリカへの移住は不可能になるが、力行会はブラジルに理想の村を建設するアリアンサ運動を起こす。力行会の運動は海外に目を向けた運動であったから、青年の意識が直接世界とつながっていた点に特色がある。移住は一般に豊かさを求めての移動と一面的に解釈されがちだが、力行会の活動を振り返ってみると、時代によっては人間のあり方を求める文化的要求が人を動かすこともあることを教えられる。

  月刊誌『力行世界』に見る青年群像

力行世界 日本力行会は当時としては珍しい月刊誌『力行世界』を独力で発行し続けている。『力行世界』は島貫会長時代に創刊され、島貫没後一時期中断するが、永田稠がアメリカから帰国して第二代会長となった後の一九一四(大正四)年、第一三〇号から復刊している。平均八〇頁の青年向け雑誌である。
 編集方針はキリスト教思想を基調としながらも、社会問題については積極的発言が目につく。毎号掲載される啓発論文にはジャーナリストによる西欧諸国の移住政策論、移民事業関係者の国策的論文、山室軍平、賀川豊彦など宗教的社会運動家の人間論と、思想的立場はさまざまである。
 『力行世界』の特徴はなんと言っても会員の投稿を中心にしていることで、これらを読むと会員の多数は地方在住で、旧制中学卒業程度の青年であり、当時の青年の動向がよくわかる。海外からの通信は移住青年の目でとらえた各国の実状が中心だが、一般の歴史書ではうかがい知ることの出来ない貴重な証言である。後にブラジル日系社会で著名な教育者となる岸本昂一が数多くの実情報告を寄せている。
 国内会員の投稿では、小作争議が多発した時代であるから、農民の苦境、社会制度の不合理、苦境を脱して海外へ雄飛すべきだといった文章が多い。被差別部落解放運動を支持する「在米同胞と水平運動」(刀根夫生・二四一号)、「栗須氏の水平宣言を読みて」(木下乙一・大正一四年・二四五号)などは当時の力行会員の思想信条の一端を示しているし、時にはマルクス主義的階級闘争論とも見られる「君等と僕等」(鬼頭銀一・大正一三年・二三七号)や、革命政党の集会に参加した記録などもある。もっとも階級闘争論は二ヶ月後の編集後記で「その筋から厳重な注意を受けました」とある。
 力行会が移住をどう考えていたかを示すものとしては、力行会幹事・宮尾厚の「農村問題解決の鍵・デンマーク国民高等学校」、小川林の農政批判「商工立国と海外発展」、堀了の「農村問題と海外発展」、十川計一の「農村問題の原因と救済」(いずれも大正十三年・二三九号)などがある。宮尾は当時の人口過剰論に対して、狭い国土で食糧自給を達成しているデンマークの青年教育を紹介している。これらを読むと、政府の農業政策が経済的利益にのみ目を奪われ、農民の窮状や食糧自給率の向上を無視してることへの絶望感がある。これに対して、力行会の「海外発展論」は農民を受け入れる国があるならば移住し、青年の力によって自立した村をつくるべきだとする主張であったようだ。永田稠の諸論文にも、生まれた国にこだわるべきではない。神から与えられた地へ出かけ、世界人類と共に生きるのだとする主張がうかがえる。

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