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(NPO現代座レポート・2002年12月20日発行号)
ありあんさ通信をはじめて読まれる方のために、アリアンサ移住地やユバ農場について簡単に紹介しておきます。
サンパウロ市から西北に向かう幹線道路マレシャル・ロンドン(州道300号線)を600km走ると、トレーボ・イサム・ユバというインターチェンジがあります。ここがアリアンサ移住地の入り口です。ユバ農場の創設者弓場勇を記念したもので、もちろんサンパウロ州政府によって命名されたものです。
アリアンサ移住地のあるサンパウロ州はブラジル南東部にあり、工業化、都市化、近代化が最も進んだ州です。ブラジルの国土は日本の約23倍と言われていますが、サンパウロ州の面積は247,320平方km、これは日本の全面積から北海道と九州を除いたくらいの広さです。人口はブラジル最大で3,368万人(1995)です。
十九世紀以前はポルトガル人がサトウキビなどを栽培する貧しい地帯だったようですが、コーヒー産業の発展によってイタリア人、ポルトガル人、スペイン人、日本人、ドイツ人などが大量に移住したため、現在ではそれぞれの母国文化が融合する多文化社会です。
現在日系人は140万人と言われていますが、その七割はサンパウロ州に居住し、さらにその八割は都市部に集中しています。サンパウロ州には571のムニシピオ(行政区)がありますが、日系人の居住しない所はないと言われ、日系人の連邦議員、州議員、市長は珍しくありません。
日本との関係について言えば、日系人の日本への出稼ぎ、ブラジルへの資本進出など経済的交流は盛んですが、文化的な交流は弱く、日本語はほとんど通用しなくなりました。
その点、アリアンサ移住地はサンパウロ市から600kmの奥地にあり、移住当初からの日本文化の伝統を守る大変珍しい移住地です。そのアリアンサもすでに三世、四世の時代ですから、日本文化の継承は次第に困難になっています。
現在完全な日本語環境が残っているのはユバ農場だけではないかと言われています。ここは80人あまりの農場員が共同生活をしているため、日常の生活語が日本語で、子どもたちは日本語で育ち、学齢期からブラジル語(ポルトガル語)を使うようになります。