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移住記念館

アリアンサ移住記念館
  ユバ農場の敷地内に完成間近

1999年2月、ユバ農場を訪問したサンパウロ在住の熊田和子さん撮影  記念館は一九二九年(昭和四年)に築造された北原地価造(きたはら・ちかぞう)邸の構造をそのまま使っていますが、築後七十年の木造建築であるため実際に使えるのは六割程度で、それより古い一九二八年(昭和三年)築造の輪湖俊午郎邸を解体した木材とあわせて復元することになったものです。輪湖邸も新築された当時は輪湖御殿と呼ばれたそうですが、やはり移住地建設のさなかの建物ですから、壁は無骨な板張りで、窓や出入り口の扉も粗末なものでした。その代わり使われている木材は北原邸のものより分厚く、立派なものです。

 北原邸は移住地がほぼ完成した時期のもので、瀟洒な洋風建築になっています。窓は明るいガラス戸で、室内の造作もいかにも日本の大工さんらしいていねいな作りでした。この家を建てた大工は北原さんとともに最初の開拓に当たった座光寺さんです。

 輪湖さんと北原さんは一九二五年(大正一四年)から一九三四年(昭和九年)までアリアンサ移住地の理事をつとめ、輪湖さんは主として外交面を担当、北原さんが移住地の営農指導にあたっていました。輪湖さんはその後はアリアンサから五〇キロばかり離れたチエテ移住地に移り、河辺の家で終生を過ごしました。残念ながらその河辺の輪湖邸は一九九〇年にチエテ河が河口ダムになった際、川底に沈んでしまいました。

 写真は北原邸を東側面から眺めたもので、右側に突きだした部分が玄関のベランダで北向きになっています。北半球なら南側が明るい日ざしを受ける方角ですが、南半球のブラジルでは北側が明るい方角になります。写真正面側は応接間になっています。北原さんはベランダがお気に入りだったようで、移住地の理事を退いた後も、いつもここで村人の相談に乗っていたそうです。

 瓦は今後の補修のことを考えて、新しいものにしたとのことです。


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