HomeHome
移住記念館

ブラジル・アリアンサ移住記念館
  北原・輪湖記念館が完成しました

完成した北原・輪湖記念館

 皆さまのご協力のおかげで「北原・輪湖記念館(旧北原地価造邸)」の移築が完成しました。
 4月23日、アリアンサ関係者をはじめミランドポリス市長ら250名の参列のもとに、下桑谷牧師の司式によって完成記念式典が行われました。  家屋の基本構造は1929年(昭和4年)に築造された北原地価造邸のものをそのまま使い、床材、壁材などは1923年築造の輪湖俊午郎邸を解体した材料で補強されています。  北原・輪湖記念館はユバ農場のゲストハウスと図書館の間に建てられ、アリアンサ移住関係の資料館としても使用されます。
 貴重な文化財の移築とあって、サンパウロ州ミランド・ポリス郡役所は無償で敷地の整地作業を行ってくれました。工費、材料費の13,337レアル(1998年当時1レアル約110円)はアリアンサ文化協会、輪湖俊午郎記念碑設立委員会からの寄付をはじめ、ユバ農場員およびその支持者、日本側では現代座およびその支持者らからの募金などで集められ、9ヶ月に及ぶ解体移築の作業は弓場農場員と日本からの訪問滞在者の無償奉仕ですすめられました。また、今後の記念館の維持管理についてもユバ農場が引き受けてくれることになりました。
 ブラジルは世界各国からの移住者で構成されている国ですから、それぞれの民族の特徴をしのばせる歴史的文化財が残っていますが、日本人移住者の場合はほとんどの移住地が消滅したこともあり、あまり残っていません。特に日本式の木造建築は維持保存が困難なこともあって、この記念館の実現は非常にめずらしい例だといえます。

移築資金をお寄せ下さった皆さまへ

 皆様にご協力いただいて、昨年、1998年7月7日に着工いたしましたこの記念館建設、お陰を持ちまして本年3月26日にようやく完成し、この4月23日に落成式を挙行することになりました。
 当初は、数ヶ月で完成する予定ではじめましたが、建設監督にあたった私をはじめ、手伝ってくれた若い仲間たちもともに、レンガ積み家屋を何軒か手がけたことはあっても、みな全くの素人ですし、ブラジル人大工のジョゼ・ファリアス氏も木造家屋のしかも移築修復ということは未経験であったため、結果的には約9ヶ月という長い月日がかかってしまいました。
 1929年当時の古材をそのまま使用しての移築修復ということは、新たな材料をもって建造するよりも遙かに難しく困難なことであるということを知らされる毎日でした。また、修復していく過程で板を選び柱を選びするたびに、そこに残されている斧のはつり跡が、製材機械の満足になかった当時は一本の柱、一枚の板をつくりだすにも丸太を斧ではつり、あるいは木挽き鋸で一枚一枚板を切りだすという気の遠くなるような作業があったことを教えられます。それだけにまた、完成した建物からは当時の生活がよりいっそう身近に感じられ、その感動もひとしおでした。
 この建物を文化財として残したいという気持ちは、村の方たちのみならず私の中にもずいぶん前からありましたが、木村快さんが来訪されて熱心に提言して下さり、皆様から資金をお寄せいただいたことによって、こうして実現にこぎ着けることができましたことは、ほんとうに言葉につくせぬ感謝であり、あらためて心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
 現在、内部にはカーテンや同じ古材を利用してつくった照明器具を取りつけ、各部屋の壁には建設の過程を描いてきた子どもたちの絵や写真を飾りつけて落成の準備を急いでいます。
 皆様も機会がございましたら、ぜひアリアンサへ、ユバへ、この記念館へお越し下さい。

1999年4月16日
弓場農場 矢崎正勝


「北原・輪湖記念館」建設概要

矢崎正勝

工事期間 1998年7月7日〜1999年3月26日
総工費  13337レアル (注・1998年時点、1レアル=110円)

建設責任 矢崎正勝
助手 矢崎 勇
大工  ジョゼー・ファリアス(在ムルチンガ市)
助手  ルイス・アマデウ・アンシィロット(在ムルチンガ市)

両邸の建造年月

 北原地価造邸は、第一アリアンサ七区に1929年6月、房前儀三郎氏によって建設されたものです。
 輪湖俊午郎邸は、同五区(現、丸山文好さん宅敷地内)に1928年に座光寺与一氏によって建設されました。
(1998年10月4日、アリアンサ在住、小野リウさんの証言による)

建設にあたって

 この建物は「北原・輪湖記念館」とありますようにアリアンサ移住地理事をしておられた北原地価造、輪湖俊午郎、両氏の旧邸を解体し、おおよそはその材料をもって建造いたしました。
 このたびの移築は、修復という点のみを考えるならば、寸法などを重視しなければなりませんが、そのためにはほとんどの材料を新たに購入しなければならず、新築家屋となってしまいますので、元の材料を最大限に利用して外観的に、斧ではつった柱表など当時のたたずまいを残すペきであると考えました。
 その結果、材料の都合上多少寸法を変更せざるを得ず、オリジナルの肘根太上の壁の高さは3メートルでしたが、古い壁板を使用するため両端の割れ、腐れの部分を切り落としましたので、2メートル83センチと17センチほど低くなっています。
 また、内部は今後の使用を考えて間取りは五部屋でオリジナルと同じですが、部屋の仕切の位置、大きさ、窓の仕様などを変更しトイレも設置しました。
 しかし、外形的には旧北原邸と殆ど変っておりません。

北原邸と輪湖邸の材料の使用法

 床下のアロエラ材は、太いものが北原邸、細い方が輪湖邸のものです。
 根太はペローパとセイドロの丸太をはつって使用していましたが、シロアリ、腐れにより寸法的、耐久的にもそのまま使用することは不可能でしたので、一部を除いては新たに15センチメートル角のイタウーパ材を使用しました。
 合掌も根太と同じような状態でしたので16センチ幅のペローバ・ホッショで新たに作り替えました。
 瓦は、特に北原邸のものは四種類もの異なった大きさの製品が使用されており、これらを元通りにうまく葺き直すことは不可能に近い作業であり、雨漏りのことも考慮して新たなものとしました。
 カイブロは、4センチ×5センチと細く、切り方も不揃いであり、かなりもろくもなっていましたので殆ど新たにしました。
 窓は、根太に使用されていたセイドロ材の使える部分を細かく挽き割って、特別注文し、従来は上下開きでしたが左右開きに変更し、桟のデザインは元の形を残しました。
 壁板は、輪湖邸のものは元々280センチと低く、寸法が合いませんでしたので、中壁用の一部を除いては殆どが北原邸のもです。この板を上下幅共に痛んでいる部分を切り落とし、打ち付ける前に両面をリッシャデーラ(回転移動式サンダー)で多少きれいにしました。
 床板は、両邸のものを併せて使用していますが、共に2.5センチから3センチとかなり厚いものを使用しておりましたので、幅十八センチに切り揃え、厚さを2.3センチに削り揃えてから、実接ぎ(さねはぎ)にこしらえましたので、両方の床板全部でほぽ丁度の量でした。

使用木材の種類

 建材は両邸共にペローバ(床、壁、根太、屋根材用)、セードロ(戸、窓、根太用)、ガイサーブ(根太用)、アロエラ(根太用)などを使用していまたしたが、今回はそれに加えて、イタウーバ(根太用)、セドリーリョ(窓枠)なども使用しました。

ご協力

 建設に際しての敷地基本整地はミランドポリス郡役所の御好意でやって頂きました。
 根太材など製材は、釜野さん宅のセラリア(電動横挽き大鋸)を無償で貸していただきました。また、建設中に近藤昇留さんにご足労願ってご意見をうかがったりもいたしました。
 さらに、この間に農場を訪れた多くの(老若男女の)方々が基礎工事に、柱立てに、あるいは瓦上げ、壁や窓の塗装などにと、滞在中に様々な形で協力して下さいました。あらためて皆さまに感謝申し上げます。


Back home