Home |
特集:アリアンサ移住地はブラジル信濃村か | 移住史ライブラリIndex |
ニッケイ新聞 2003年11月20日
ブラジル側と日本側の両面から、移住に関わる事実が網羅された歴史こそが、本当の移住史ではないか――。現在ある移民史の大半は、移住後の出来事に終始し、日本の送りだし側の事情や背景に踏み込んだものはあまり見られない。その点を、木村快さんは長年指摘してきた。ブラジル移住者の里帰りをえがいた演劇「もくれんのうた」を日本国内各地、そして伯国でも上演したNPO現代座(東京都)。その代表が木村快さんだ。十四日来伯し、今後の抱負などを語った。
「ブラジル移民の移住史は、日本と切り離されている」と木村さんは語る。戦前移住の公的資料は、終戦のドタバタの時、大東亜省が処分してしまったそう。おかげで「日本政府がどういう移住政策をとっていたのか、まったくブラックボックスになっている」という。
木村さんはこの十年間いろいろな学者に会い、日本側の移住史研究を薦めてきた。
「データはなくなっても、証言できる人がまだ残っている。本格的な研究を今やっておかないと、後で困るようになる」。しかし、ブラックボックスに敢えて挑戦する学者は今のところ現れていない、と嘆く。
アリアンサ移住史の研究家としても知られる木村さんが、そのような考え方に至ったのは、同移住地の構想に関わった輪湖俊午郎の生涯を調べはじめてからだった。輪湖は日本政府が設立した海外移住組合連合会が現地法人・ブラジル拓殖組合(通称ブラ拓)を設置した時の、初代現地理事であり、国策移住に深く関わっていた。
「ところが、彼が中心的に関わったはずの各移住地史にも、輪湖の名は全くでてこない。ブラジル移住史には未解明の部分があることに気づいた。国策にかかわりながら名前の消された人物、何かあると思った」
木村さんの調査によれば、輪湖が理事だったのは一九二八年から三一年だが、三一年の同連合会総会で突然、幹部の交代劇が行われた。「簡単に言うと、輪湖が関わった時期の移住政策は否定され、海外移住組合連合会は軍と結びつき、満州移住と戦略物資調達の機関に変貌していく。この間の経過を示す資料が日本側にもブラジル側にも見あたらない」。
続いて、「そのため日本近代史では、国策であったブラジル移住や満州移住については年表に記載されることもなく、教科書にのることもなく、歴史の闇に消えつつある」と叙述する。木村さんは、日本の近代史のために輪湖についての本を書いて、世に問うことをライフワークと考えている。
「生きている限り言い続けるしかない」と熱く語った。木村さんは調査などのために、聖市や弓場農場に十二月八日まで滞在する予定。
※ 現代座(木村快代表)が「もくれんのうた」をブラジルで上演したのは一九九四年。十三都市十五公演という大掛かりなものだった。その後、木村さんは移住地の人たちとアリアンサ史研究会を九六年に発足させ、九八年九月からは「アリアンサ通信」が始まった。以来、サイトもでき、日本の人にブラジル移住史の一つの姿を問い続けている。