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大切なクリスマス

記・弓場勝重(ゆば・かつえ)

特別な日

 ユバのクリスマス。この日は私にとって、指折り数えて待つ特別な日でした。
 今ふり返ってみると、遠い子供の頃の絵本を、一ページ、一ページめくるように、その中にクリスマスの絵が見えてくるのです。この絵本は、父達が、私達にくれた大切な永遠のクリスマス・プレゼントなのです。

 ユバでは、昔から、私の生まれる前から、芝居や合唱を皆でしていました。その頃は、農場の中に劇場はまだなく、クリスマス近くになると、大きな、鶏の餌小屋の中に、仮の舞台を作っていました。積み上げられたトウモロコシのサッコ(袋)の上で、子供達はいつも芝居の練習を見ていた覚えがあります。そして、そのまま寝込んでしまうのでしょう、次の朝、自分の布団の中で目覚めるのがとても不思議でした。
 「シンデレラ姫」の舞踏会の場面、「森は生きている」のカラスが高い木にとまって鳴いている、冬の場面から春の場面に、一瞬にして変わるとき。また、冬の老人がそりに乗って、一〇メートルもあるような鞭をならしながら舞台を横切っていくとき。まだ七つぐらいだった私は、ドキドキしながらも、その舞台の美しさに魅せられていました。
 クリスマス・キャロルでは、スクルージの、悪い心と善い心の話の場面。その意味も分からず、ただ、「こわい! あの重い鎖がこわい!」とそれだけの思いでした。これらの場面は、幼かった私の心に深く深く印象づけられました。
 こうして振りかえって見ると、次から次へと楽しい思い出につながってくるのです。「思い出は、今日の命」と、父(弓場勇・農場創立者)はよく言っていました。

舞台は世界にもの言う扉

1950年のクリスマス「おもちゃのマーチ」右から二人目が勝重(かつえ)  父は、この共同農場を、七人の友達と一緒に創り、人間が本当に幸せに暮らすとはどういう事なのか、と真剣に考えました。その一つとして芝居をやり、合唱をし、一つのメッセージを共有しながら、自分を見つめつつ表現していく場として、舞台の持つ力がどれだけ多くの心を動かすのか、と言うことを見いだしていたのだと思います。
 舞台は、ほんの小さな空間ですが、それは世界に物言う扉であり、また、全ての世界のものが飛び込んでくる入り口でもあります。
そのような場を作った父達、それは、ユバを訪れる多くの人達に感動を与え、私達に生きる勇気を与えてくれています。

野外舞台の天使

 ユバは、いろいろな境遇に出逢い、全てのものを無くし、現在の場所に移ってきたのは、一九五六年のことでした。それから数年経って、ここで始めてのクリスマスの催しをしました。舞台は、芋畑の中に台だけのものが作られました。そこは、なだらかな斜面の一番下であり、上の方の芋の畝はカフェーのサッコ(コヒー袋)を敷いて客席にしてありました。私は、こんな所にも舞台が出来るのだとビックリしてみていました。
 その時の芝居は、トルストイ原作の「人は何で生きるのか」で、貧乏だけど、とても正直な靴屋さんの話でした。そのクライマックスに、靴屋に助けられた天使が恩返しに来た後で天に昇っていく場面がありました。野外舞台の上には、満天の星空が広がり、その中に天使は消えていったのです。
 あの時の美しさ、宇宙と人とが一体となって共に生きていました。舞台の素晴らしさを、また改めて感じた一瞬でした。こうして、どんな時にも欠かさず、ユバではクリスマスの集いを催してきました。

奇跡の人達

 父は、クリスチャンでしたので、日本にいるときからクリスマスは特別の日で、私のおばあちゃんの、くらさんは、クッキーを焼いて一袋ずつ包み、村中の子供達に配っていたそうです。その行為がブラジルに来てからも続き、クリスマスには賛美歌を、ギターなどに合わせて歌っていたのです。それが、今のユバのクリスマスに繋がっているのです。

小原久雄 そんなユバに、今から四十一年前、庄さん(小原久雄・彫刻家)と明子さん(小原明子・舞踊家)が、日本から見えてユバに住むようになりました。この二人が来たことが、また大きな力となって、クリスマスは更に素晴らしいものとなって行きました。父は、庄さんと明子さんのことを、「奇跡の人」だと言って、その出逢いを非常な感動を持って喜びました。
 庄さんは、彫刻家でしたが、とても芝居の好きな人でした。そして、明子さんは、バレエにとっても情熱を持っていて、ユバの生活にバレエすることを取り入れたのです。この出逢いが切っ掛けとなって、ユバの劇場、「テアトロ・ユバ」が建ったのです。それ以来、ユバのクリスマスは本当の意味で、生活表現の場としての大きな役割を果たすようになったのです。素晴らしい指導者を得たことは、ユバに、更に活気と生きる力とを与えました。
 庄さんは、彫刻を作るかたわら、自分の好きな日本の民話や文学を、日本の美の感覚を、芝居をすると言うことを通して私達に教えてくれました。
 明子さんもまた、共に暮らしつつ、その中から生まれてくる感動によって、ユバ独特の舞踊を作ってきました。庄さん達も、日々の暮らしの中では色々なことがあったと思いますが、舞台という特別な場が、ブラジル二世である私達と、日本人である明子さん達の心を一つに溶け合わせてくれたのです。

クリスマスを作る人達

 毎年、クリスマスの舞台を持つたびに、そこには大きな感動があります。私は、そこから沢山の大事なものを与えられてきたと思っています。
 生活の中から生まれてくる思い。それを一つの言葉として芝居にし、詩にして表現していく。ユバに住む全ての人達、子供からおじいちゃんまでが、そのクリスマスを作っていく人達なのです。
 ユバのクリスマスには、アリアンサの村から、ミランドポリスの町から、サンパウロから、日本から、沢山の人達が集まってきます。そして、皆で一緒にこの日を祝い、楽しい舞台を作っていくのです。
 創設者の弓場勇、歌の上手だったロングさん、どんな時にも必ず舞台を見に来ていた浜村さん、黙々と働いていた稔さん、大工上手のキンちゃん、モトイ君、タケちゃん、クマさん。これらの人達が、昔は、素晴らしいユバのクリスマスの役者達だったのですが、もう半分以上の人達が天国へ行ってしまいました。でも、今ではその孫達が、それぞれの場で、素晴らしい主役となって活躍しています。
 私は、今年もまた、指折り数えてその楽しいクリスマスの日を待っているのです。

弓場勝重(かつえ)

 弓場勇の四女としてアリアンサに生まれ、その血を濃く受け継ぎ、ユバ存続の意味を、父母の思いや小原久雄との出逢い、弓場農場の生い立ちなどを絵本で語る歴史として自費出版したり、創作劇にして上演するなど、後に続く子供達に伝えるべく活動をしている。また、外部のアーティスト達との交流も盛んにし、そのユバにおける公演などにも力を注いでいる。


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