HomeHome
移住史ライブラリIndex | 移住年表 | 移住地図 | 参考資料

サンパウロ州移住地図

地図
アリアンサの位置
アリアンサはサンパウロから西北へ600キロ位の場所にある。サンパウロ州のほぼ西北端に近く、そこから少し行くとマットグロッソ州との州境を流れるパラナ河に出る。パラナ河は南米大陸の真ん中を南に向かって流れる大河で、そこから少し下るとパラグアイとの国境を接して流れ、やがてアルゼンチンのブエノスアイレスを経て大西洋に出る。

ノロエステ地方
日本人の移住が始まった1906年(明治43年)、バウルーを起点にしたノロエステ鉄道がアラサツーバまで開通していた。この鉄道は町と町を結ぶためではなく、隣国パラグアイとの戦争に備えての軍事鉄道であったから、原始林の中をひたすら西北へ向かって建設されていた。1920年代に入ってブラジル政府は奥地振興のため、この鉄道沿線の原始林を10アルケール(25ヘクタール)単位で低価格で分譲をはじめる。
 もともとはコーヒー農園の契約労働者としての出稼ぎ移住だった日本人は、いっせいに無人のノロエステ沿線に入植をはじめる。このため、ノロエステ沿線はどこへ行っても日本人ばかりだったという。バウルーは日本移民の中心地となり、領事館が置かれ、邦字新聞社が活躍した。ノロエステとは西北を意味するブラジル語である。

サンパウロからの距離
サンパウロからバウルーまでは鉄道で370キロだから東京から名古屋くらいの距離である。バウルーからアラサツーバは200キロ、名古屋から京都と思えばよい。さらにアリアンサまでは80キロで、京都から神戸といったところだろう。昔はアリアンサからサンパウロへ出るには汽車で二日がかりだったという。現在ではノロエステ線は貨物専用になり、旅客はバスを利用する。特急バスで十時間くらい。飛行機でアラサツーバまで行き、そこからバスを利用することもできる。

国策移住地
1924年にアリアンサ移住地が生まれると日本国内で移住ブームが起こり、日本国内が不況にあえいでいたこともあり、1927年(昭和2年)に海外移住組合法という法律が公布される。国策会社としてブラジル拓殖組合がつくられ、チエテ移住地、バストス移住地、トレスバーラス移住地と次々大規模な移住地が建設され、大量の移住者が送り込まれる。そして太平洋戦争の開始と共に移住者は日本政府の保護を失い、苦難の道をたどることになる。

移住者数
1906年から太平洋戦争の始まる1941年までの日本人移住者は20万人、戦後移住者が5万人といわれている。その子弟たちが外国人労働者として日本に働きに来ている。その数、1997年時点で20万人を超している。現在、日系人は130万人といわれている。


Back home