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世代を越えるクリスマス

記・小原明子

年末のスケジュール

 毎年欠かさずに行われてきたユバのクリスマスの集い。それは弓場農場の一年間の生活の集大成であり、それぞれが学び、練習を重ねてきた成果を発表する場でもある。
 鶏の餌小屋で上演していた簡単な聖劇や合唱から始まったその集いも、一九六一年に常設の劇場が出来てからは暮らしの中にバレエを学ぶことが加わり、それが一つのきっかけとなって、年を重ねるごとに上演するレパートリーも増えていった。
 クリスマスに向けての準備が始まると、食堂の壁に、練習スケジュール表が貼られるが、十二月に入ると、更に分刻みのような練習時間がビッシリと書き込まれ、一日の仕事を終えての、夜の練習時間だけでは足りず、仕事の合間を縫って、それぞれの稽古が進められる。
 ユバの子供達は、十才になると大人達の仕事に仲間入りし、学校から帰ってくると、一人前の働き手となって畑に出るようになる。十二月の夏休みになると、朝早くから仕事に出かけるようにもなる。
 スケジュール表を見て、「ワーッ、今日は大変だ! 三つも練習があるんだ。」と言いながらトラクターに飛び乗り出かけていく。
 バレエが終わると劇の練習、その次はバイオリン、と練習に追いまくられる子供達。炎天下の畑から、稽古場に直行してくる頃には、すでに汗ビッショリで、入ってくるなりドタッと床に大の字に寝転がってしまう。
 「ハーイッ! クリスマスまでもう十日しかないよ。休んでる時間はないよ。頑張って!」と先輩の大声で練習が始まる。練習も終わりに近づく頃、「オーイ! 野球に行くぞーっ!」と、叫ぶ声が聞こえてくる。「バレエ、これで終わりだね。おつかれさまでしたーッ。」と、さっきまで「もう死んじゃうよーッ。」と悲鳴を上げていた男の子達は、バットを担いで練習に飛び出していってしまう。やはり、男の子は踊ることより、ボールを追いかけている方が楽しいようだ。子供達のエネルギーは、尽きることを知らない。

衣装作りは自分たちで

衣装デザイン衣装デザイン  バレエを始めた当時、バレリーナ達は殆どが、十五、六才の少女達だった。クリスマスに使う、踊りや劇の衣装は、彼女たちのお母さんが縫っていた。
 衣装デザインが決まると、食堂の壁にその絵が貼られる。お母さん達は、「これを見ると、もうクリスマスがやって来るんだナー。何となく、そわそわした気分になるねえ。」と言いながら衣装を縫い上げていく。仕上がった衣装は、デザインを担当していた庄さん(故夫、小原久雄)に「本職の衣装屋顔負けの仕事をするな。」と言わせた、イメージ通りの見事な仕上がりだった。
 その頃のバレリーナ達は、踊ることだけに専念していればよかったが、今では、自分達が使う衣装は、自分達で作るようになり、しかも、バレエ団の半数以上が、四人、五人と子供を抱え、子育てをしながら踊っているが、その子供達も皆、バレエや劇に出演するのだから、縫う衣装の数も大変な量になる。
 デザイン画を見ながら、製図を引き型紙を作る人。裁断する人。A子の踊りの衣装はB子が縫い、B子の芝居の衣装はK子が、とそれぞれが得意な分野を受け持ち、要領よく作っている。専門に洋裁を学んだことのある人はいないけれど、どんなに難しいデザインを前にしても、「こんな衣装、縫ったことがないから作れないよ。」などと言ったことはない。試行錯誤をくり返しながら、回を重ねる事に新しい発見をしながら、技術を向上させていっている。

キンちゃんの祈り

庄さんの描いた舞台背景のデザイン画  今までクリスマスに上演してきた劇は、木下順二の「夕鶴」、坂口安吾の「桜の森の満開の下」、菊池寛の「岩見重太郎」といった時代劇から、スタインベックの「二十日鼠と人間」、飯沢匡の「昆侖山の人々」と言った風刺劇まであり、演目は多種多様だが、これらの脚本は、芝居の好きだった庄さんが、どこからか探し、手に入れたものだった。
彼は演出も引き受けていた。演ずる役者も勿論ユバの人達である。庄さんにスカウトされ、いつも舞台に引っ張り出されていた、キンちゃんこと、箕輪勤助氏は、「舞台装置はいくらでも作るから、役者だけは何とか勘弁してくださいよ。」と言っていたが、ある時、こんな事を話していた。
 「わしは、人前で芝居なんぞするガラじゃない。でもな、子供達に、皆で力を合わせて創造の世界を広げていく、喜びや楽しさが少しでも伝えられればと思ってな。下手な芝居でも、自分たちがやって見せることで、いつかそれが役に立てば、と願いながら舞台に立ってきたんだ。祈りみたいなもんさ。」と。

新たな世代

 ユバは、すでに二世、三世の時代を迎えているが、近頃は、その子達が先頭に立って指導をするようになってきた。「カロリーヌと仲間達」「たべられたやまんば」「チビクロサンボ」と言った原作を軸に、自分達で脚色し、演出しての上演である。
二年前には、原作、脚本、振り付け、音楽、全てオリジナルの創作ミュージカル、「風と少女」を上演した。そして昨年は、初めての試みとして、子供達が総出で影絵劇に挑戦し、民話の「ごんぎつね」を創意工夫を懲らして舞台に乗せた。
 ユバで生まれ育ち、先輩達の舞台を見て大人になっていった子供達が、確かな足取りで、創造の世界へと一歩一歩、あゆみ始めている。
 個性あふれる役者であり、大道具作りの棟梁だったキンちゃんは、すでに九十才を越え、舞台に立つことはなくなったが、いつも客席に座り、「いいナー、楽しいナー、素晴らしい!」と言いながら、ジッと舞台を見守っている。


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