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アリアンサへの道

アリアンサへの道  開設当初のアリアンサ移住地は、ノロエステ鉄道ルッサンビーラ駅から原始林の中に開削されたこの道を南へ40キロの道のりだった。現在はアリアンサの南側にサンパウロ市から直行する幹線道路が走り、この道はあまり使われていない。
(写真・粂川正子)

 アリアンサ移住地は一九二四(大正一三)年十一月、サンパウロ州北西部のまったく手つかずの原始林の一角に開設された。移住者たちはサンパウロ市から鉄道を乗り継ぎ、二日がかりでノロエステ鉄道のルッサンビーラ駅に降り立つ。アリアンサに天文台を作った人物として知られる神屋信一は一九二六(大正一五)年六月に入植しているが、ルッサンビーラ駅に着いたときの感想を次のように記している。
 「此処は、サンパウロでもさいはての地でした。駅に四十キロ、隣りの町に百二十五キロ、その間は密林に蔽われているというところでした。ここがその移住地の入口にある終着駅になっています。その駅についたのが私等の一行八十数名です。駅といえば、如何にも立派ですが、密林を伐り拓いた焼跡に鉄道を敷きっぱなしにしただけのことです。まるで、埋立工事場のトロッコの線路みたいなものです。(中略)………何しろ、これから四十キロの密林を突破しようというのですから、新来の移民にとっては、可成りな心細い感じです。(神屋信一著「百姓の書いた動物記」より)
 神屋の文章によると、このときアリアンサ移住地から北原地価造理事自らが運転し、トラック三台で迎えに来たとある。しかし当時アリアンサが所有していたトラックはフォードのもので頑張っても二トンくらいしか積めない。これに八十人の移住者と荷物を積んで出発したら、原始林の真ん中で動かなくなり、やむなく荷物を下ろし、神屋は荷物番に残されたとある。
 そのころの道路は悪路の上に、巨木があればそれを迂回して造成されたため、そうスイスイとは走れなかったようだ。
 その後、鉄道路線も変更され、ルッサンビーラ駅のあった部分は廃線となり、駅舎も姿を消した。今では見渡す限り牧場となり昔の面影はないが、それでも古い教会の廃屋が残っていたりして、入植者たちの書き残した文章を読む際の手がかりにはなる。

(木村快)


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