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山川出版社・大月書店問題の経緯

NPO現代座 木村 快

 アリアンサの住民を驚かせたのは1997年に山川出版社から発行された「長野県の歴史」に、アリアンサ移住地は長野県人だけで固まる他民族排除の思想・郷党的親睦思想によって建設された「ぶらじる信濃村」であり、こうした思想がやがて満州開拓の中核思想となって多くの長野県人を満州に送り込み、中国残留婦人・孤児を生み出すことになったと書かれていたことでした。さらに2000年に出版された大月書店の「満蒙開拓青少年義勇軍と信濃教育会」でもほぼ同様の記述がなされ、全く事実と異なる歴史となっていました。

 アリアンサ移住地は確かに長野県出身者が中心になって建設した移住地ですが、棄民政策と呼ばれた国策の出稼ぎ移住への批判として、大正デモクラシーの影響を受けた人々によって定着移住をめざす運動が進められ、日本全国から入植者を集めた珍しい移住地として知られています。その運営の形態も、大正時代の日本人としては珍しい自治会運営を基本にしたものでした。アリアンサという名称自体、ポルトガル語で「協力、盟約」を意味する言葉です。

 両書の記述は歴史的事実と異なっているだけでなく、日本における中国残留婦人・孤児問題の元凶としてあつかっているだけに、アリアンサの歴史をゆがめるだけでなく、移住そのものへの偏見を生み、20万人以上の在日ブラジル人への偏見を助長する危険がありました。
アリアンサ移住地は大正十四年の開設で、すでに戦前移住の一世も数少なくなり、誇るべき村の歴史を三世、四世にどう伝えていくかが村の重要課題となっていた時期だけに、この事件は大変な衝撃でした。
アリアンサ移住地は2000年に新津英三氏の名で山川出版社、大月書店に抗議文を送り、再調査を求めましたが、両出版社からは今日に至るまで全く反応がありません。毎日新聞、朝日新聞など日本の主要新聞社および長野県の信濃毎日新聞、長野県立図書館などにも調査協力を依頼しましたが、反応はありません。サンパウロ市に在住される永田久氏もご自分の主宰される雑誌「のうそん」にアリアンサ建設の事実経過を書かれ、長野県関係者に200部送付し、訂正への協力を求めましたが、反応はありませんでした。
日本側ではわたしがいろいろつてを求めてブラジル移住史の研究者を探してみましたが、アリアンサ史の是正に関心を持つ研究者を見つけることは出来ませんでした。

 やむなくわたしたちは「ありあんさ通信」8号(2000年11月)、11号(2002年6月)でアリアンサ史の実際の経過をまとめ、心ある人々に読んで貰うのが精一杯の活動でした。その結果、「満蒙開拓青少年義勇軍と信濃教育会」の編者が属する歴史教育者協議会が月刊誌「歴史地理教育」2004年9月号で「近現代史の中のブラジル移民・移住」という特集を組んで下さいました。大変感謝しています。しかし、大月書店は誤った記述は著者の責任と考えるらしく、山川出版社同様、一切の謝罪・訂正に応じていません。出版は社会の公器であり、理念的な事業だったはずですが、出版社側には社会的理念は存在しないようです。

 共生を課題とする21世紀を迎えた現代、移住史は日本人にとって貴重な国際史ですが、残念ながら日本の歴史学は移住を全くあつかわず、基礎資料も体系化されていません。地方の研究者が今回のような間違いをおかす危険は今後も考えられることです。

 日本の現実に絶望しかかっていたわたしたちにとって、今回の田中知事のアリアンサ移住地訪問は大きな希望を与えてくれました。知事が長野県にかかわる海外移住地の情報を気にとめられ、自らアリアンサを訪問して事実を確認され、長野県の責任で歴史の事実をただすと約束されたと聞き、大変感動しています。


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