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アリアンサ運動の歴史第二部
  共生の大地を支えた青年たち

木村 快

 一、常識を覆した移住地建設運動

 アリアンサ移住地を建設したのは信濃海外協会である。信濃海外協会は一九二一年に長野県で開設された非営利の組織で、現在のNPO組織に該当する。海外協会とはもともとは海外に移民を送り出した家族のための情報提供と、移民会社の宣伝をチェックし、正確な海外情報を提供することを目的とした組織である。政府機関、船会社、移民会社などと連絡を取り、せいぜいパンフレットの製作と窓口業務が主であるから、たいていは県庁の片隅に机を置かせて貰う程度のものだった。ところが信濃海外協会の場合は、設立二年目にはブラジルに移住地を建設すると言い出したものだから移住関係者は驚いた。しかも、サンパウロ市から遠く六百キロの彼方の大原始林地帯である。ブラジル在住の移民関係者は誰もそんなことが出来るとは信じていなかった。
 ブラジルに大規模日本人移住地をつくった先例としては、一九一四(大正三)年にサンパウロ州南部に開設されたイグアッペ植民地がある。これは定植移住論者の青柳郁太郎が桂太郎内閣に働きかけ、東京商工会議所会頭渋沢栄一らによって資本金一〇〇万円で設立したブラジル拓殖会社がサンパウロ州政府から無償で土地払い下げを受け、ブラジル側の協力を受けながら建設したものである。当初、その中心となるレジストロ植民地に三〇〇家族を導入する予定だったのが開設後四年たっても一〇〇家族に満たない状態で、東京の株主の間で批判が続出していた。結局、一九一六年(大正五年)に日本政府の意向で、ブラジル移民を一手に担う国策会社・海外興業株式会社に併合されてしまった。
 そうした前歴があるのに信濃海外協会のような素人が、十分な資金も持たず、しかもブラジル側の資本家さえ容易に手を出しかねている、サンパウロ州の奥地に大移住地を建設しようというので、『南米ブラジルにおける日本人発展史・下巻』(四四頁)によると、サンパウロの日本人社会では相当こきおろしの話題にされたようである。
 すでに書いたようにアリアンサの建設は一九二四年十月、土地購入の段階で資金は底をつき、開発のための人件費、資材費もなく、開発主任の北原地価造と数人のスタッフがテントで暮らしながら細々と開発を始めていた。ところがその数ヶ月後から、日本からの移住者が到着しはじめ、一九二六年中に満植になっている。
 入植者が到着すればその受け入れにも大がかりな準備が必要である。まずそれ以前に、各区画が水に不自由しないように二五ヘクタールずつに区画割りをしなければならない。道路を整備しなければならない。入植者が自分の土地をある程度開拓し、自分の住まいを建てるまでの間生活できる収容施設を作っておかなければならない。しかも大原始林の中であるから、生活物資の調達、生産物の流通ルートも開いておかなければならない。建築資材の確保、コーヒー精選所、精米所、さらに学校、診療所などの準備も必要である。。
 日本の信濃海外協会ごときにそんな大仕事の出来るはずはないと思われたにもかかわらず、移住者は続々サントス港に上陸してくる。しかも日本国内ではこれが大きな話題となり、信濃海外協会の呼びかけで、鳥取海外協会と富山移植民協会(いずれも非営利法人)が組織され、信濃と協同で、第二アリアンサ、第三アリアンサが開設されることになる。総面積七、八〇〇アルケール(一八、八八四ヘクタール)、ここに五〇〇戸以上、三〇〇〇人の大移住地である。
 アリアンサへやってくる人々はそれまで見慣れた出稼ぎ者とは違って農業経験のない人々らしく、中にはピアノ、蓄音機といった家財道具まで持ってくる者がいる。ブラジル人たちは「あれは本当に日本人なのか」といぶかり、在留日本人たちの間では、「銀ブラ移民」と揶揄され、「あんな連中に原始林の開拓など出来るはずがない。だまされたのだ」などと噂された。
 たしかにこれは移住の常識を覆す出来事だった。資金を持たない信濃海外協会がどのようにしてアリアンサのような大規模移住地を開発できたのか。そこへやってきた農業経験のない人々が、どうしてあの厳しい開拓生活に入ることが出来たのか。
 アリアンサ移住地はたしかに信濃海外協会が開設した移住地である。しかし、信濃海外協会を組織したのは日本力行会長の永田稠である。そしてその実務を担い、サンパウロ奥地の大原始林に大移住地を建設したのは日本力行会の青年たちであった。
 だが、どのアリアンサ移住地史にもブラジル移民史にも、力行会のことは全く出て来ないし、アリアンサの住民も力行会がつくった移住地であることを知る人は少ない。実際にはアリアンサ建設の主力でありながら、公的な記録には全く姿を現さない。このふしぎな日本力行会とはどのような組織だったのか。そこにはどのような青年たちが結集していたのか。どうしてそのようなことが可能だったのか。

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