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アリアンサ運動の歴史第二部
  共生の大地を支えた青年たち

木村 快

力行青年の育成に生涯を捧げた宮尾厚

宮尾厚宮尾厚(一八九二〜一九七一)
 長野県更級郡篠ノ井に生まれる。長野師範卒業後、教員生活を送るが、大正二年から海外学校に学び、大正五年、メキシコの教育事情を視察するためメキシコへ渡るが、メキシコは動乱のさなかにあり、キューバ、アメリカと遍歴、各地の農園で働く。帰国後日本力行会の監事となり、海外学校で教鞭をふるう。
 『力行世界』一九二五年に「農村問題の鍵・デンマーク高等国民学校」を掲載したように、早くから商品として扱われる農業ではなく、社会の土台として自立した農業を育てようとするデンマークのフォルケ・フォイスコーレ(国民高等学校)の制度や協同組合運動に関心を持っていた。
 一九二八(昭和三)年、アリアンサに南米農業練習所を開設することになり、力行会員三〇人を引き連れて第三アリアンサの渡辺農場に入る。日本からの支援を期待できなかった練習所は苦難の連続であったが、やがて協同組合方式の農場として成長し、アリアンサ建設のために貢献する。しかし、日本側の農場主の合意を得られなかったようで、力行会本部から共同組合方式を認められず、一九三五年に辞任。
 以後は第三アリアンサの産業組合理事長などを勤め、戦後サンパウロ市へ転住。ブラジル力行会の相談役となる。

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