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追悼 今本武士さん

お世話になった皆様へ

 今本武士が今早朝(二〇〇九年三月十九日午前三時五〇分)、老衰のためミランドポリスの病院で亡くなりました。一九九六年に脳卒中に見舞われ、その後一時期回復して復帰しましたが、二〇〇四年より歩行困難となって自宅静養となり、娘・マリアンとポジン(らおり)、孫のアグネスたちが介護に当たっていました。
 三月十九日に通夜を行い、二十日早朝、告別式を執り行います。生前ご親交を頂きました皆様に篤く御礼を申し上げます。
                       弓場農場一同

  タケちゃんのこと

木村快・美智子

2003年訪問の時 わたしたちは今本さんには本当にお世話になりました。
 今本さんは農場ではみんなからタケちゃんと呼ばれていました。タケちゃんは一九二一(大正一〇)年に北海道池田町で生まれた人ですから、享年八十七歳ということになります。
 一九三三(昭和八)年、十二歳のとき両親とともにブエノスアイレス丸でブラジルに渡ったと聞いています。入植地はサンパウロ州ポンペイヤ市ですが、戦前、弓場勇の呼びかけた産業青年連盟運動に共鳴し、一九四三年、二十二歳のとき弓場農場の一員となりました。いつも笑顔を絶やさない人で、それでいてまるでブルドーザのように働く人でした。まさにユバの大黒柱のような存在でした。
 わたしは一九七八年にサンパウロ市でユバ・バレエの公演を見たとき、「輝かしき開拓者」という演目で、タケちゃんがマッシャードと呼ばれる大きな斧を振りかざし、ほんとうに丸太に打ちこんで木っ端を飛び散らす演技を見て度肝を抜かれたものです。タケちゃんは当時すでに五十歳後半になっていたはずですが、専門家でもない一介の農夫が、全く自然な姿で若い娘や若者たちと一緒に舞台で輝く姿はわたしに人間の持つ力のすばらしさを教えてくれました。この舞台を見たことから、いったいユバとはどんな人間の集団なのかを知りたくなり、それからユバ農場と交流が続くことになりました。
 ユバ農場の歴史を調べるため、何度もタケちゃんの話を聞きましたが、タケちゃんという人はほんとうに控えめな人で、自分のことより仲間のことを丁寧に話す人でした。タケちゃんが倒れたとき、タケちゃんの部屋を訪ねると、「この身体が思うように動かなくてねえ」と涙ぐむ姿に絶句してしまいました。タケちゃんは動けなくても、農場のみんなは大事な作業の段取りについてはいつもタケチャンに相談しているようでした。
 これでまたアリアンサの生き証人が一人いなくなりました。タケちゃんの冥福を祈るとともに、なんとか早くアリアンサとユバの歴史をまとめなければと思います。


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