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◆資料4 「ブラジルに於ける日本人発展史」下巻
第二章・第一節「建設の発端」(ラテン・アメリカ協会昭和十六年刊)より

 「翌年大正十年初頭、輪湖は(ブラジルから)日本へ帰り、ブラジル発展に関して力行会長と大いに劃策(かくさく)するところあったが、時機適当ならず、ついに不成功のまゝ空しくその年も暮れんとした。輪湖は妻を残しての帰国であり、その上留守中長男病死の報に接するなどの事情のため、気も腐って帰心矢の如くであった。しかし折角のこと故、今しばらく日本に滞在して見てはどうかと、永田はしきりにすすめるのであった。同年十一月のことである。県下の機運も相当動いている様子ゆえ、方向を転じて此の際信州に海外協会を組識し、それをブラジルへの土産として、第二段の構へにそなえてはどうかと、永田は輪潮に対するせめてもの心尽しとして持ちかけたのである。こうした話から、その夜永田は東京を出発し、折から諏訪郡に出張中の岡田新任知事を追いかけ、翌日長野県庁への汽車中で、信濃海外協会設立の電撃的了解が、両者の間にまとまったのであった。

 (一部旧漢字表記を筆者がかな表記に直している)

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