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アリアンサからの報告

木村美智子

北原邸との再会

 三年ぶりのユバ農場。ゴヤバ畑の横を通るとキンちゃん(箕輪勤助さんの愛称)が働いていました。いつも快さんの体を心配して、手当てしながらアリアンサの昔のことを話してくれるキンちゃんは、今年九十一才。お年なので心配していたのですが、とっても元気で、ニコニコしながらゴヤバ畑で働いています。もっとも、ここでは九十六才になられる長縄さんも毎日畑に出ています。
 食堂に着くと女性たちが相変わらずにぎやかに明るく、いっぱいの優しさで迎えてくれました。ああ、何も変わっていないと思っていたら、子どもたちを見てびっくり。急に大きくなって青年や娘さんになっているのです。小さかった子も小学生ですって。

移住記念館前にて。木村快・美智子。

 訪問客用のゲストハウスも建て替えられて大きくなっていました。そこへ荷物を置こうとすると「違う、貴方たちはこっちよ」と指さされた先に、あの北原・輪湖記念館がありました。写真で見てはいましたが、想像していたよりずっと大きく立派で、とても美しい建物です。入り口のベランダには古い机とイスがあり、昔、北原村長さんはここで村人と村の問題を話し合われたことでしょう。
 部屋に入ると北原さんと輪湖さんの肖像写真が飾られ、この建物の解体から移築完成までの作業の経過写真が飾ってあります。一九二八年に建てた家の古い板をそのまま使うのは、新しい材木を使う何倍も大変なことで、しかも昔の通りに再現しようとしたために何度もやり直したそうです。

 五年前、はじめて北原邸へ行った時のことを思い出しました。何年も空き家になっていたこの家は、床に穴があいて崩れかけ、棚が盗まれて、貴重な北原さんの日記が散乱していました。その日記を拾い集めながら、「何とかこの家を残したいね」と、アリアンサの人と話しあったものでした。それが、思いがけず輪湖さんの旧宅も森の中に残っていることが分かり、輪湖さん宅の材木といっしょに生き返ったのです。村開設以来、アリアンサが遭遇した数々の困難な問題がこの家で相談されてきたのだと思うと、今自分がそこに立っているなんて信じられないような気がします。
 北原さんが使われていた書斎にはちゃんと仕事机が置かれ、資料室には移住関係の書籍や弓場勇さんの手紙や資料が置いてあります。そして北原さんの寝室を私たちが使わせてもらうことになりました。まるで夢のようです。今、毎日この家で昔の移住関係の本を読み、資料を調べています。ここにいると、何十年もの長い間、このアリアンサを見てきた木が、私たちに語りかけてくるような気がします。

ソートレーク市で

 話は前後しますが、今回は思い切ってアメリカ経由で、ユタ州のソートレーク市を回ってブラジルへ入りました。アリアンサ移住地の設計者である輪湖俊午郎さんのことを調べたかったからです。輪湖さんは十五才のとき、まったく知人のいないアメリカへ単独で渡米した人です。

 ブラジルでの輪湖さんの業績や人柄はよく知られているのに、アメリカでどのような勉強をし、どんな人格形成をたどったのかはまったく知られていません。ただ、ブラジルへ来る前にソートレーク市の邦字新聞・ロッキー時報の記者をしていたということだけは分かっていたので、せめてその街の空気だけでも吸ってみたいと思ったのです。

 日本を発つ前に、松本市のユタ日報研究会の方々から一九〇〇年代初頭のソートレークでの邦字新聞の状況を教えていただき、ユタ日報とかかわりの深い日系二世の笠井アリスさんを紹介していただきました。また北海道の高井瑞枝さんには在米日系人の方々を通して、ソートレーク日系教会の花房譲次牧師を紹介していただきました。
 花房さんと奥さんの真理子さんには一日がかりであちこち案内していただき、また明治期からの日本人移住者の歴史、日系人の現状などについて教えていただきました。

 松本市で紹介していただいた笠井アリスさんをお訪ねすると、今年八十四才になられるお元気な方で、幼年時代のソートレーク日系人社会のお話を伺うことができました。そして、ユタ日報の社屋は実はロッキー時報の社屋を買収したものであることが分かり、写真を見せていただくことができました。今はソートレークの文化センターが建てられて跡形もありませんが、若き日の輪湖さんはその社屋の二階に寝泊まりしていたはずです。
 輪湖さんが働いていたというビンガム銅山、スペイン語を覚えるためにメキシコ人といっしょに鉄道工事で働いたという鉄道線路も遠くからではありますが眺めてきました。

 ソートレークは大変清潔な街でした。街の中心には有名なモルモン教の大聖堂がそびえています。この街は一八四七年に、モルモン教徒が迫害を逃れてたどり着き、未開の原野につくりあげた街だそうですが、輪湖さんはこの街で暮らしながら、移住地の建設を夢見るようになったのかも知れません。また、ソートレークは輪湖さんの育った長野県の安曇野に似ています。盆地を囲むロッキーの山々が、安曇野にそびえる北アルプスにそっくりなのです。謎に包まれた輪湖さんの青少年期の一端に触れた思いがしました。


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