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日本を考える

宇山慎二

宇山慎二

宇山慎二(うやま・しんじ)
 一九七〇年六月二十四日 鳥取県東伯郡北条町米里生まれ。埼玉県文教大学教育学部卒。一九九五年より鳥取県倉吉市立上北条小学校勤務。二〇〇〇年四月二十二日着伯 第二アリアンサ日本語学校教師として鳥取県より派遣着任。

思いがけない赴任

 私の勤める第二アリアンサの日本語学校には、幼稚園から高校生まで三十一人の子供たちがいます。教師一人の小さな学校ですが、素直な明るい子供たちに囲まれ、また地域の人に温かく見守られ、楽しい毎日を送っています。夜になると二十四歳から七十歳近くの老人の方まで、約二十人の方が学校に来て一緒に日本語の学習をしています。昼は炎天下の中、畑で働き、夜になると学校に来られる方々ですが、学校に来るのを楽しみにしておられます。本当に頭が下がる思いです。
 今私はこんなのどかな生活を送っていますが、しかし、ほんの半年前は、こうしてブラジルで働くなど、想像すらしていませんでした。今年の一月、それは教育委員会からかかってきた一本の電話から始まりました。当時私は鳥取県の小学校に勤務しており、六年生を担任していたこともあり言いようのない忙しさに追いまくられていました。その電話は「来年度から二年間、ブラジルアリアンサの日本語学校に勤務していただけませんか」というものでした。あまりに突然の電話にすぐ答えることができず、「即答はできません。少し時間をください」と返事をしたのを覚えています。
 鳥取県では一九九三年より、日本文化の継承と日本語教育の促進、移住地との交流の活性化をめざし、鳥取県の教員を一人、第二アリアンサ鳥取村の日本語教師として派遣する制度が行われています。このようなことで私は五代目日本語教師として派遣されることになりました。

ブラジル・遠い国

 「うまく勤まるかわかりませんが、行かせてください」と返事をしてから約二ヶ月間、アリアンサについて、ブラジル移住のことについてはじめて考えることになりました。小学校では六年生の社会の資料集の巻末に「世界の国とのつながり」という章があります。しかしそこには、ブラジルに東洋人街があるということは載っていますが、移住の歴史などについてはくわしい記述はありません。
 いろいろ調べてみましたが、なかなか正確な情報はなく、困っていたときインターネットで、「アリアンサ」と検索すると、唯一「アリアンサ通信」というホームページが見つかり、いろいろ情報収集をしました。これが、木村快さんを知るきっかけとなったのですが・・・。また、今年八十五歳になる祖父の家に行き、その当時の話を聞くことができました。恥ずかしい話ですが、教壇に立って日本の歴史の概要を子供たちに教えてきた私ですが、海外移住の問題については全くの無知でした。
 この機会が与えられ調べたことで、やっとことの概要がつかめてきた次第です。そして今年の四月から第二アリアンサに住み、日本語学校に勤務しています。

ゆったりと時間の流れる国

 まずこちらに来て驚いたことは時間がゆったり流れていることでした。バール(ちいさな店)の前には昼間でも人が集まり、最近のブラジルのことや、農業のことなど話しておられます。また、道でばったりあっても「ちょっとそこまで、じゃあ」といった形式的なあいさつではなく、二十分でも三十分でも話は尽きません。日本にいたときの癖で仕事のことでカリカリしていると「先生、ここはブラジル。ゆったりいきましょう」と話しかけてくれます。最初はなかなかそのペースになれませんでしたが、今考えてみると、日本では少なくなりつつある近所づきあいや、人と人とのふれあいがしっかり残っているのは、こうしたことが影響しているのかもしれません。今でも「父の日」「母の日」「還暦のお祝い」などは会館に村の人みんなが集まってお祝いしています。
 もう一つ困ったことは、「日本の文化をしっかり教えてほしい」「日本のようなしつけをしてほしい」と期待されることです。
 私は今年三十歳になります。戦争も、海外移住も、日本の高度成長も知らないニュージャポネーズと言われる世代です。「日本の文化」と言われてもなかなか思いつきません。考えてみるとあくせく毎日忙しく生活してきましたが、「自分の国の文化」について考えたことも自覚したこともなかったことに気づきました。考える機会はきっとあったのでしょうが、興味を持たなかったという方が正しいかもしれません。時代に取り残されないよう、一歩でも人より先にと突き進んできたように思います。今ブラジルに来て振り返ったとき自分のホームタウンがわからないという、言いようのない寂しさのようなものを感じずにはいられません。結局今でもまだ「日本は今こう動いてるよ」という話はできても「日本という国はこんな文化を持った国だよ」と言う話はできずにいます。自分の国「日本」について今やっと考え出したところです。

毎日、午前11時から午後4時20分まで、三交代で日本語教育を基本にした授業を行う。

あこがれの国・日本

 第二アリアンサの子供たちは「日本」にとてもあこがれを持っています。学校の鉛筆でも「先生、これメイド・イン・ジャパン?」と聞いてきます。「そうだよ」と答えると「やっぱりね。ムイント・ボン(とってもいい)ね」と言います。また「日本に一回は行ってみたい。日本は良い国ね。」とも思っています。最近の日本の教育現場で働き、これからの日本はどうなるんだろうと心配している一人としては、ちょっと切ない気もします。

 まだ私はアリアンサに住んで四ヶ月ですが、アリアンサは私に日本のこれからのあり方について考えさせてくれました。また、日本で何の疑いもなく常識と考えていたことが、世界の常識というわけでもないと言うことも教えてくれました。これから二年間この子たちに「日本」に期待を持ち、そして「日本の文化」を感じることのできる教育を行っていきたいと考えています。また、帰国後このことを伝え、「日本が好きだ」という子供たちをたくさん育てていかなくてはいけないと感じている今日この頃です。


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