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ユバの子どもたちが踊っている。
アリアンサ移住地は今年開設七十六年目を迎える。この移住地はよく国策移住で開設された移住地と間違われるが、実は国策移住の始まる四年前に信濃海外協会が独力で開設した移住地で、移住者自身による自治と協同を呼びかけた、日本の海外移住史の中でも大変珍しい移住地である。創設期のこの移住地では「コーヒーより人をつくれ」をスローガンにしていた。
コムニダーデ・ユバ(弓場農場)はこの呼びかけの精神を受け継ごうと、一九三五年に弓場勇らアリアンサの青年たちによって創立された協同農場である。戦前から、よくブラジルの「新しき村」と呼ばれ、注目を浴びてきた。
アリアンサ村自体は戦前、戦中、戦後、現代の激流にもまれ、今日では日系人の間でも特別に意識されることはなくなったが、それでもブラジルでは日本文化の特徴を残す唯一の村と言えるだろう。三世、四世の子どもたちの日本語能力は一番高いと言われている。
その中でもユバの子どもたちは豊かな日本語環境で育ち、ごく自然に大人の労働を手伝い、同時にバレエ、絵画、演劇、音楽のレッスンをつづけている。専門家になるためではなく、豊かな人間になるためである。アリアンサ文化の躍動は子どもたちに受け継がれているようだ。