HomeHome
移住史ライブラリIndex | 移住年表 | 移住地図 | 参考資料

ユバの芸術活動

卜部美佳子

 前号で紹介したユバ(弓場農場)は、バレエ団としての一面を持つほか、楽器演奏、演劇など様々な芸術活動に親しんでいます。昨年五月、わたしがユバで一カ月間の滞在をする中で触れたユバに暮らす人々の芸術活動を紹介します。

テアトロ・ユバ

 ユバにはおよそ五〇〇人収容できる手作りの劇場があります。この劇場では、バレエの公演以外にも、音楽家との交流、日本からきた劇団の上演なども行われており、一九九四年にはアリアンサ開設七〇周年の記念事業として現代座の「もくれんのうた」が上演されました。

ユバ・バレエ

ユババレエ団の勧進帳 日が暮れて夕食が終わると、バレエや歌のレッスンが始まります。一九六一年に舞踏家の小原明子さんがユバに参加して以来、ユバ・バレエ団は日本人移住地区の文化の顔として広く上演活動を続けています。昼に畑を耕し、果実・野菜を育て、あるいは厨房で八〇人の大家族の食事をつくる女性たちが、バレリーナに転身し躍動感あふれるダンスに汗を流します。ユバで育つ子どもたちは小さな頃から、バレエのレッスンを日課としており、最近では子どもたちが登場するレパートリーも人気を集めています。遠方に呼ばれて公演に行くときは、子どもたちは農場で留守を守る方でしたが、このレパートリーができてからは、子どもたちも公演の旅に出るようになりました。

ユバの演劇

 クリスマスにはユバの劇場で村人を集めて、合唱・楽器演奏・バレエ・演劇の一大イベントが開催されます。このクリスマス会を毎年楽しみにしている人々が、サンパウロ市からもおおぜいかけつけるそうです。
 日系三世、四世の子どもたちがほとんど日本語を知らずに育つ中、ユバの子どもたちは日本語を母語として育ちます。そのため、ユバの演劇では子どもたちがいきいきとした生活感のある日本語を話すことに大きな特色があります。
 昨年のクリスマスでは、児童文学を原作とした「カロリーヌの世界旅行」を上演しました。少女カロリーヌと友だちの動物たちがアリアンサからの招待を受けて、ブラジル旅行に出発するオリジナルの物語です。カロリーヌと動物たちがユバの劇場に到着するクライマックスでは、劇場に詰めかけた観客が拍手で迎えていました。

芸術する心

 ユバを訪れたとき、わたしが感銘を受けたのは日常の中に芸術がとけ込んでいることでした。昼食後の休憩時間になると、あちこちからピアノ、フルート、クラリネット、アコーディオンの音が流れてきます。食堂には子どもたちがアトリエ(美術教室)で描いた絵が飾られ、食器や花器もユバの登り釜で焼かれています。そして、光あふれる農場内には彫刻家の小原久雄さんが残した石彫り作品が置かれています。日本では「芸術」という言葉は専門家のものというイメージがありますが、ユバの人々は生活に喜びをもたらすものとして、ごく普通に芸術を愛する生活を送っています。
 ユバに滞在している中で、子どもたちと人形劇をつくる機会がありました。長い間眠っていた人形たちのために劇をつくろうと呼びかけられたのです。人形劇をつくることなど初めてのわたしは、自分にできるだろうかと不安になりましたが、劇団からの客人と紹介されていては断るわけにもいきません。ユバの図書館から「大きなかぶ」の絵本を何冊も借りて、相談しながら台本をつくりました。書き上げたときはごく普通の「大きなかぶ」でしたが、稽古の中で食事時を知らせる角笛や、すごい臭いがするという自然の肥料など、ユバの生活風景が入り込み、独特の「大きなかぶ」になっていきました。
 夕食後の広い食堂で行われた人形劇「大きなかぶ」公演は、大きな笑いと拍手で幕を閉じることができました。自分には人形劇なんてできないと決めつけていたわたしが、この人形劇づくりに参加することができたのは、ユバの持つおおらかさに包まれていたからでしょう。「その人の持っている力でいい。ひとつづつできることは広がっていく」という言葉をかけられたことは、ある水準に達しなければいけないというわたしの窮屈なこだわりを溶かしてくれました。
 ブラジル各地、日本からもたくさんの芸術家がユバを訪れています。土とともに生き、感謝の祈りを捧げ、表現する喜びにあふれたこのユバの生活そのものが、芸術の根幹に関わる営みだからかも知れません。


Back home