日本語で遊ぶ子どもたち
小さいけれど日本文化の世界
一九七六年にユバ農場のリーダー弓場勇が自動車事故で亡くなったとき、日系社会では「今度こそユバも終わりだ]]と噂した。一九五七年にも一度倒産したが、それでも農場は生き続けていたからだ。それから三十二年たった。
ユバを訪ねた人がまず驚くのが、そこに戦前の日本ではないかと錯覚させる日本的空間があることだ。子どもたちが泥だらけになって裸足で飛び回り、女の子たちが木の上で鬼ごっこをしている。その子どもたちの叫び声が全くの日本語なのである。
訪問者がハラハラして見ていると、農場員は「この子らは赤ん坊の時から何度も転んだり落ちたりしてるから慣れたもんだ]]と笑っている。それでいて大人達は仕事をしながらも、いつも子どもたちに目を向けている。
戦前の日本の子どものように、とにかく大人の仕事を手伝いたがる。五歳になると大食堂のテーブルにゆで卵を並べる仕事が与えられるし、小学生になると豚や鶏のえさやり、そして大人と一緒に豚や鶏を解体し、食べ物の尊さを知る。中学生になると一人前として大人と一緒の農作業にたずさわる。
作物の栽培の仕方、土の耕し方、演劇やバレエの身のこなしなど、微妙な感覚は日本語を通して身につけていく。日本文化は日本語特有の表現によって伝えられるからだ。学校に上がるとポルトガル語の世界だが、農場は日本語だからバイリンガルとして育つ。
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泥にまみれて遊ぶ子どもたち。 |
ユバの少年野球チームはブラジルではトップクラス。 |
木登りをして遊ぶ女の子たち。 |
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