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共生の大地を担った青年たち

『日本力行会百年の航跡』グラビア写真より

 「ブラジル社会との共生」をかかげたアリアンサ移住地が、実は多くの青年たちの無償に近い献身によって実現したものであることはあまり知られていません。アリアンサ運動は日本力行会長の永田稠がブラジルで輪湖俊午郎、北原地価造という協働者と出会った一九二〇年からはじまったと考えられますが、運動を担ったのは大正時代の力行青年たちでした。力行青年とは日本力行会海外学校出身者のことですが、調べてみると、戦前のブラジルには一千人以上の力行会員がいたようです。
 一八九七(明治三〇)年、東京で設立された日本力行会は、貧しい青年たちを世界へ送り出し、国際人に育てる活動を続けた団体です。力行会は早くから海外学校を開き、海外へ出かける青年の教育を進め、個人的成功よりも、その出身者によるネットワークで相互扶助と社会事業への貢献を理念としていました。そのため、数々の社会的事業に関わりながらも特別に名乗ることもなく、公的な記録として残ることもほとんどなかったようです。
 サンパウロにアルモニア学園という幼稚園から大学までの一貫教育を行う日系唯一の総合教育機関があります。これは第二次大戦終了後、長い間敵国人として扱われ、十分な教育を受けられなかった二世たちの勉学を支援しようと、ブラジル力行会員がボランティアで資金を集めて設立したサンパウロ学生寮から始まったものです。
 戦後、ブラジルで「日本は負けていない」とするデマが吹き荒れた時代、「日本の敗戦を認め、新しい生き方を」と呼びかけて勝ち組のテロに倒れたジャーナリスト野村忠三郎は海外学校の一九一八年組でした。教育者として知られる岸本昂一は一九二一年組、二木秀人は一九三一年組です。昨年ブラジル政府から文化功労賞を受賞したコムニダーデ・ユバは一九二五年組の弓場勇や一九三〇年組の太田秀敏らによって創立されたものです。日本では昭和二一年に生活保護法制定に尽力した衆議院議員、長谷川保が一九二一年組でした。
 世界の中の日本人を考えるとき、大正時代にはこのような日本青年たちもいたことを見直してみたいものです。

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