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追 悼

木村 快

半田知雄さん 永田忍さん 佐藤常蔵さん 二木秀人さん
半田知雄さん
1996年没、享年90歳
画家、移民史研究者
永田忍さん
2000年没、享年87歳
日本力行会長永田稠長女
佐藤常蔵さん
1997年没、享年90歳
力行会員、ブラジル史家
二木秀人さん
2002年没、享年91歳
力行会員、教育者
輪湖譲二さん 弓場繁さん 箕輪謹助さん 山中三郎さん
輪湖譲二さん
2003年没。享年80歳
輪湖俊午郎長男
弓場繁さん
1998年年没、享年88歳
ブラジル聖公会大司祭
箕輪謹助さん
2003年没、享年94歳
力行会員、ユバ農場長老
山中三郎さん
2000年没、享年91歳
バストス移民博物館長
丸山文好さん 阿部敬吉さん 馬場秀雄さん 箕輪新七さん
丸山文好さん
2001年没、享年71歳
旧輪湖俊午郎邸の寄贈者
阿部敬吉さん
1999年没、享年91歳
力行会員、農業
馬場秀雄さん
2000年没、享年92歳
力行会員、農業
箕輪新七さん
1998年没、享年86歳
力行会員、農業

 わたしがブラジル移住史に関心を持つようになったのは、アリアンサ移住地の創設にかかわった輪湖俊午郎を調べはじめてからだった。最初は移住史に関係のある人物とは思わず、古老たちの話に出てくる「ワコ」という不思議な人物に興味を持ったのである。

 ところが、輪湖俊午郎の生涯を追っていくうちに、特に昭和三年から七年にかけての動きがどうしてもわからないという問題にぶっつかった。そのうち、実はこの時期、輪湖は日本政府が設立した海外移住組合連合会が現地法人・ブラジル拓植組合(通称ブラ拓)を設置した時の初代現地理事であり、国策移住地の開設に深くかかわっていたことがわかった。ところが、彼が中心的にかかわったはずの各移住地史にも、公的な性格を持つ日本ブラジル移民八〇年史にも、輪湖の名は全く出てこない。ブラジル移住史には未解明の部分があることに気づいた。国策にかかわりながら名前の消された人物。何かあると思った。

 わたしは輪湖俊午郎にますます興味を持つようになった。そうなると生存者を探して直接聞いてみるしかない。だが、輪湖を知っている人はみな高齢者である。急がなければならない。一九九五年から輪湖俊午郎とかかわった人々を訪ね歩く旅が始まった。

 この三月、わたしの最も信頼するアドバイザーであったユバ農場の長老、箕輪謹助さんが亡くなられた。その二ヶ月後、今度は輪湖俊午郎の子息である譲二さんも亡くなられた。振り返ってみると、取材に協力していただきながら、期待に応えることができないまま、すでに十人以上の方が故人になられた。わたしは約束が果たせないまま、途方に暮れている。

 わたしの道のりはまだまだ遠い。せめて、追悼の意味を込めて、故人になられた方々の貴重な証言の一端をみなさんにお知らせしたいと思う。

二〇〇三年八月一日

>輪湖俊午郎の消えた足跡をたどる

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