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木村 快
わたしがブラジル移住史に関心を持つようになったのは、アリアンサ移住地の創設にかかわった輪湖俊午郎を調べはじめてからだった。最初は移住史に関係のある人物とは思わず、古老たちの話に出てくる「ワコ」という不思議な人物に興味を持ったのである。
ところが、輪湖俊午郎の生涯を追っていくうちに、特に昭和三年から七年にかけての動きがどうしてもわからないという問題にぶっつかった。そのうち、実はこの時期、輪湖は日本政府が設立した海外移住組合連合会が現地法人・ブラジル拓植組合(通称ブラ拓)を設置した時の初代現地理事であり、国策移住地の開設に深くかかわっていたことがわかった。ところが、彼が中心的にかかわったはずの各移住地史にも、公的な性格を持つ日本ブラジル移民八〇年史にも、輪湖の名は全く出てこない。ブラジル移住史には未解明の部分があることに気づいた。国策にかかわりながら名前の消された人物。何かあると思った。
わたしは輪湖俊午郎にますます興味を持つようになった。そうなると生存者を探して直接聞いてみるしかない。だが、輪湖を知っている人はみな高齢者である。急がなければならない。一九九五年から輪湖俊午郎とかかわった人々を訪ね歩く旅が始まった。
この三月、わたしの最も信頼するアドバイザーであったユバ農場の長老、箕輪謹助さんが亡くなられた。その二ヶ月後、今度は輪湖俊午郎の子息である譲二さんも亡くなられた。振り返ってみると、取材に協力していただきながら、期待に応えることができないまま、すでに十人以上の方が故人になられた。わたしは約束が果たせないまま、途方に暮れている。
わたしの道のりはまだまだ遠い。せめて、追悼の意味を込めて、故人になられた方々の貴重な証言の一端をみなさんにお知らせしたいと思う。
二〇〇三年八月一日