1908(明治41)年の笠戸丸からはじまったブラジル移住はサンパウロ州のコーヒー農園労働者としての出稼ぎが主流であり、定着を目的とした移住は1913年のイグアッペ植民地からである。
輪湖俊午郎は移住の実態を調査し、イグアッペ植民地に期待をかけたが、営利を先行させる移住地行政は、入植者との間にさまざまな矛盾を生み、紛争がつづいていた。
その教訓から移住者自身の協同を目指したのが1924年に開設された組合方式のアリアンサ移住地だった。アリアンサの成功によって、バストス、チエテなどの国策大移住地が開設されるようになり、ブラジル移住は出稼ぎから定着へと、移住の流れを大きく転換させることになった。